暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)
市の広報誌に、奈良街道についての記述があった。
家の近くの道だったので、行ってみることにした。
石の道しるべを見ていると、30歳くらいの男の人が話し掛けてきた。
当時、私は、15歳。
「これ、何ていう道か、知ってる?」
「『奈良街道』って書いてありましたけど…」
「正確には『暗越奈良街道』という。奈良街道は何本も通っている」
「へぇ、そうですか!」
「今のうちに、いろいろ見とく方が良いよ。
君が僕ぐらいになったとき、もう、こういうのは
無くなっているかもしれないよ」
(それもそうだ!)と思った。
無事、志望高校に合格した私は、両親にサイクリング車を買ってもらった。
サイクリング車で、奈良の寺と神社を見てまわることにした。
飛鳥の遺跡も見てまわった。
奈良の寺や神社や遺跡は、ほとんど見てまわった。
奈良県に3つの世界遺産が登録される何年も前だった。
「ほとんど――」と言ったのは、
ある女人高野の寺を見なかったからだ。
「女人高野だから、まぁいいか」と思っていた。
恐れていたことが起きた。
平成10年、女人高野の室生寺が、台風の被害を受けたのだ。
五重塔がやられてしまった。
本来の五重塔が、もう、見られなくなってしまったのだ。
「あの男の人」の言っていたことは、正しかった。
無くなりはしなかったのだが、
本物の五重塔は損傷を受けてしまって、見られなくなってしまったのだ。
残念。
奈良の大部分の寺や遺跡を見て思ったのは、
「ここが見たいのに」と思ったところは、
宮内庁の管轄で、見られなかったことだ。
立札の前で、いつも私は、こう言ったものだ。
「にっくき、宮内庁め!」
投稿者 : 城田 博樹 | 投稿日時 : 2009.03.15 21:17